脚本:村井さだゆき
演出:松尾衡
キャラクターデザイン・作画監督:本田雄
作画監督:井上俊之、濱洲英喜、小西賢一、古屋勝悟
美術監督:池信孝
撮影監督:白井久男
音響監督:三間雅文
音楽:平沢進
アニメーション制作:マッドハウス
配給:クロックワークス
製作:角川書店・WOWOW・クロックワークス・バンダイビジュアル・ジェンコ
ということで、主なメンバーを見ると『パプリカ』を思い出すような感じになってますね?
今監督がいい感じに映画を仕上げるときの布陣て、意外と堅実的なメンバーで揃えるのかもしれません。
就寝時間にうっかり再生してしまったという失態で、徹夜でぐだぐた書き始める。
眠たいなー……。
映像は、「静」と「動」の掴み具合が良い感じに混じり合い、良い意味で気味の悪い仕上がりになってます。
女性の走り方、というのがどうやら固定されているらしく、『パプリカ』の主人公と姿勢が同じように見えたのはちょっと穿った見方。
でも、それが今監督の【記号】というものかもしれない。
千年という時を映画の記憶・記録とともに駆け抜けたストーリー。
現実と虚構が混じり合いながら、虚構の中に現実の情報を混ぜ込んでいく。その情報の出し方と、先に答えはわかるのにその理由はあとでわかるような仕掛けによって、追いかけることの虚しさと必死さとを浮き彫りにされたように感じる。
一生懸命に人が走る、階段を駆け上る、といった基本的な動きが細やかに描かれていて、「アニメーション」とは即ち「動き」である、と見ていてわかる。キャラクター一人一人の「演技」とも言うべき「視線」にすらきわめて細かい注釈が入ったものと推察できる。
アニメーション業界で一番キレイな絵コンテを書くという今監督であるから、ほとんど本人のタッチに作画監督の味と演出指定ぐらいで仕上がっているのではなかろうか。
映画の尺としては90分というのは長いのか短いのか意見が分かれると思うが、この最期の刻を「演出」したのであれば、十分な長さだっただろうと思う。
「糸車の老婆」によって呪いを掛けられたのだと錯覚させられたが、時を駆ける少女もいつしか老婆になっていたという話であった。その「舞台」のからくりにはしてやられた。いい脚本である。
最期の台詞には、もうしてやられた、と叫びたかった。
周りの大人が言ってることって、結構正しかったんじゃ? って思った。このあたり、監督は達観してるな、と感動。
「千年女優」はある意味で片思いの本質を見事に描き出した映画だと思った。
もう一回、見よう。
だが、まずは寝る。