2007年10月11日

「どろろ」/監督・塩田明彦

 “原作もの”の映画ってのは、どうにも先入観が入っていけませんな。
 とはいえ、原作を知らなければその先入観の要素もほとんど無いので安心です。
 「原作・手塚治虫」という肩書きに頼った内容なのか、と思っているとちょいと痛い目に合いそうな?

■ものすごくいい加減なあらすじなど
 肉体を失い、それでもなお不思議な縁で仮初めの肉体を得て、不思議な刀「百鬼丸」を得る……とまぁ、この手の話には不可欠の設定であります。
 普通はその手の映像はお座なりになりそうなんですが、ちょいとグロテスクな描写を交えながら、旅をするものたちの動機を描きます。
 両親の敵、肉体を取り戻す旅、肉体を失った理由……。

 原作を読まずに見ると、こう思うわけです。
 よく出来たライトノベル的映画、とね。

 話の一本筋はちゃんと通っているので、ちんぷんかんぷんにはならないですし、下手な裏もないようで、邪推も何も要らない。ライトノベル的映画という評価は、至極普通にエンタテインメント映画である、と言い換えることが出来るつもりです。
 でも、言い換える気はなく、やっぱり内容のあっさりさはライトノベルのようです。

■誰がライトノベルだって!?

 よくもわるくもご都合主義であり、娯楽のために主人公は最強なのである。映画なのだから、よしあしなんて無く、ただ映画という「因果」のために主人公は物理的には強いのですな。

 そう、この映画、真ん中当たりから「因果」という言葉を使うようになりました。なんで真ん中当たりからなのだろう、と考えるならば、肉体を失ったきっかけは、生みの親にあることを魔物の最期の言葉から知った、という次第。
 そこからこの旅は「因果」によって進むことになるものだと知るのです。
 先が読めてしまうならば、その情報公開のタイミング(肉体を失っている理由など)はどこであろう、と考えてみるわけですが、その当たりは考えなかったことにしましょう。別に考えてみる種類の映画ではありません。

■えーと、何か良い足りないような?

 あとは、BGMを含めて和風テイストでありながら、どことなく安土桃山ではない、と断言してスタートしているところが、「この映画はファンタジー」と断言しているようで面白かった。まぁ、この当たりは原作からなのか映画オリジナルなのかは調査しないとわかりませんが。
 ワイヤーアクションが「邦画にしては激しい」のも、若き俳優妻夫木氏を起用したので力押し、といった感じでしたが、激しいのは見た目にも戦っている感じが出ていいですね。

 要素だけ見ていくと、目新しいことってあまり無いんですが、CG技術も含めて良い感じに仕上がってますね。
 ライトノベル的映画として、いい仕上がりですし、まれに見ても良いと思います。(「亡国のイージス」のアレな仕上がりとは月とスッポンで……)

 で「残り二十四体」というくくりはどうなんでしょうか。
 続きをやってやるぜ! という何かの複線ですか? 原作忠実終劇ということなの? その当たりは気にしなくても良い、という香りがするので突っ込むのを止めます。
 妻夫木氏と柴咲女史の若々しい演技をぼけーーーっと見ている間に勢いで見終わった映画でした。
 やっぱりちょっとグロテスクかなー……(´・ω・`)
posted by 逢坂総司 at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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